硫黄島からの手紙

 クリント・イーストウッド硫黄島からの手紙』を観る。


 太平洋戦争下、壮絶を極めた硫黄島での戦いを日本軍の視点から描く。五日で終わるとされた、アメリカ軍との硫黄島での戦いを三十六日間戦った男たち。彼らが残した届くことのなかった手紙が今、届けられる…。


 『硫黄島からの手紙』は、イーストウッド父親たちの星条旗』と対をなす。両作のメイン・モチーフは、写真と手紙という二つのメディアである。


 手紙には、通常、宛先がある。それが届かない、あるいは誤って配達されることがあるとしても、宛先がある。『硫黄島…』で書かれた手紙の多くは、愛する者たちを名指したものである。このことが端的に象徴するように、手紙は本質的に私的なものである。手紙はいつも、私からあなたへの呼びかけである。
 写真はこれとは異なる。写真には宛先というものがなく、常に開かれている。写真は万人を呼び込み得る。写真は最終的には風景であり、未だ書かれていない歴史である。『…星条旗』では、多くのアメリカ国民が、一枚の写真に歴史の文字を書き込んでいく。書き、また書き、また書く。そのように疲弊した写真を、しかしもう一度凝視すると、そこでは写っていたはずのものが失せ、写らなかったはずのものが立ち現れる。写真は資本主義的である。


 両メディアのこのような成り立ちは、それぞれの作品に濃い影を落としている。『硫黄島…』と『…星条旗』は、この点で対照的な作品であるはずだが、しかし、奇妙にも、相似形に見える。両者は思わぬ一点で結びついているのだ。


 説明の前に、イーストウッドについて触れねばならない。
 知られるように、彼はリバタリアンである。


 つづく
 

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