京都五山送り火

 2020年「京都五山送り火」の規模縮小について、広く報道されている。

 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/292554

 

 京都に数十年暮らす者としては、例年どおりの五山送り火がないというのは確かに少し寂しい。例年出かけて見物するわけでもないのだが、やはり季節を画するものであることには違いない。

 

 この数年は、仕事で関わることもあり、「京都五山送り火」について学ぶことが多かった。

 

 「京都五山送り火」はそもそも、全国的に見られるお盆の精霊(しょうらい)送りの一つである。

 日本では、お盆に祖先の霊(精霊)を墓参りや迎え火等の方法で迎え、数日後、送り火を焚いて送るという習俗が、今も各地に広く伝えられている。送り火は、各家庭の玄関先や庭で行われるもの、集落の境界や河原で行われるもの、山上や海浜で行われるものなど、様々な形態があるが、毎年決まった日に同じ場所で送るものとされている。

 五山送り火も、規模は非常に大きいものの、あくまでこうした送り火の一つということになる。

 

 「京都五山送り火」の起源は定かではないが、元々は、多くの燈籠を山の上で灯す「万燈籠(まんとうろう)」であったようだ。15世紀の史料に「四面の萬灯」などと記載があり、四方の山々で送り火を思わせる「万燈籠」が灯されていたことが分かっている。

 また、「万燈籠」から文字や図形に変わったのは、17世紀頃と考えられている。「大」「妙・法」「船形」は、江戸初期の『洛陽名所集』(1658年)に記されているのが最初とされていて、左大文字の記述は『日次紀事(ひなみきじ)』(1679年)、鳥居形は『諸国年中行事』(1717年)の記述が初出とされている。

 五山送り火の由来については様々な俗説があり、それはそれとして興味深いのだが、いずれも学術的な裏付けはない。

 

 お盆の行事は仏教の影響を受けた部分も多く、送り火も仏教行事と言われることがある。が、その根幹は日本古来の先祖崇拝の儀礼、つまり民俗行事と考えられる。

 「京都五山送り火」も、各山の麓の住民による地域の伝統行事であり、極論を言えば「町内所縁の山で、自分たちの御先祖様のために送り火を焚いているのを、市街地から多くの人が眺めている」という関係に過ぎない。

 (ただし、京都市では、1983年に「大文字送り火」、「松ケ崎妙法送り火」、「船形万燈籠送り火」、「左大文字送り火」、「鳥居形松明送り火」の五つを、それぞれ京都市登録無形民俗文化財に登録している。その点では、市民共有の文化財という公的な性格もあると思う。)

 

 2020年の「京都五山送り火」は、各山1~6基の火床に点火されるのみで、文字や図形は構成されない。が、本来の意義に鑑みれば、小さくとも火を灯すことに意味があり、その形態は(それはそれで数百年の歴史があり、重要ではあるが)本質的ではない。

 今年の五山送り火の規模縮小は、感染症拡大防止に鑑みられたもので、第一には、見物の方々の密集、密接を避けるために為される。(意外と御存知ない方もおられるが、8月16日の点火時刻前後には、出町柳や嵐山の特定のエリアに、数万人の方々が殺到する。)五山送り火はイベントではなく、もちろん入場制限といった概念もない。その人出をコントロールすることは事実上不可能だろう。こうした状況に備えて、各保存会の総意で「規模縮小」を決められたのだ。

 

 従って、巷の誤解や揶揄に敢えて反論するなら、以下のいくつかの点を述べることができる。

一、当たり前だが、火と火の距離を離すことでソーシャルディスタンスとしたいわけではない。もっともそのことで、点火する保存会の方々(山によっては、例年は数百人に及ぶ。)の密集は避けられる。

一、送り火は疫病退散を主眼とするものではない。感染症の流行る今だからこそやるべし、というのは根拠の薄い申立てであろう。

一、文字や図形を構成せずとも、「京都五山送り火」の本質は揺るがない。ましてや火の多寡で効果(というのも変だが。)が変じるわけではない。

 

 「京都五山送り火」は、各山とも、わずか数十戸によって、数百年にわたって継承されてきている。まずそのことに驚かされる。

 世界中の多くの伝統行事がそうであろうが、五山送り火も、継承に当たって様々なリスクに晒されている。保存会の方々に親しく接すれば一層、何か一つ歯車が狂えば、たちまち瓦解しかねないとも思わされる。

 (例えば、現代人の暮らしが山から離れた中で、良質な資材(松)を毎年一定量確保するのは、徐々に困難になってきている。あるいは、家制度が緩くなり、伝統から離脱する選択肢も普通のことになっている。)

 

 「京都五山送り火」は、透徹したコンセプトと、歌舞いた表象を捉えれば、現代美術のように見ることもできる。本来の文脈とは異なる視点で敢えて見ると、その常世離れした凄味が浮き上がる。

 

 今は、その継承の困難さや、その我々に強く迫るような在り様を改めて想い、来年また元どおりに実施されることを願うのみである。