文化政策の評価について

 文化政策の大きなトピックの一つに、「評価」がある。評価の必要性は誰もが認めるところだろうが、しかし、それをどう行うかとなると途端に話が難しくなる。その難しさについて、少し整理してみたい。

 

1 そもそも、なぜ評価は難しいのか

 2025年12月、日本文化政策学会の企画フォーラム「評価をめぐる自治体と現場の分断」(登壇:大澤寅雄氏、鬼木和浩氏、吉本光宏氏、中村美亜氏)に参加し、文字起こしを読んでいて、この難しさがよく整理されていると感じたので、これに沿って挙げてみたい。

(1)価値がそもそも一枚岩ではない(価値の複線性による評価基準の矛盾)

 国の文化芸術推進基本計画は、文化芸術の価値を「本質的価値」と「社会的・経済的価値」の二つに整理しているが(文化庁『文化芸術推進基本計画(第2期)』2023年)、中村美亜氏は、文化庁の調査報告の中でこの二つが同じアウトカムの欄に並べられ「ロジックが混乱している」例を指摘していた。

 しかもこの対立以前に、そもそも「誇るべき作品の質」自体が合意しにくいという問題もあるだろう。例えば、現代アートには、エンタテインメントとは程遠く、社会体制を批判し、時に倫理の限界に踏み込むものもある。(中国における「北京東村」や「不合作方式」展のような、当局に弾圧されながらも美術史に刻まれた表現群は、その典型だろう。)

 実務では、こうした一枚岩ではない価値のもと、「総合的に良好」などと曖昧な評価が下されがちである。

(2)成果までの時間が長く、原因を一つに絞れない(遅効・多要因による因果関係の特定困難性)

 文化芸術の効果はゆっくりと、複雑な要因が絡み合いながら現れる。ウェルビーイングの向上が、施策の効果なのか、他の要因によるのか、厳密に切り分けることは困難であり、文化庁の検討会議でも「文化行政のアウトカムと直接結びつけるのは難しいというのが率直なところ」とされている。

(3)価値の少なからぬ部分が、そもそも数字になじまない(定性的・偶発的な、指標化になじまない成果構造)

 中村美亜氏は、評価が難しい理由として、①価値創造のセレンディピティ(偶然生まれる予測できない価値)、②成果よりもそこに至るプロセスに文化が宿ること、③同じ経験でも受け手によって受け止め方がまるで違うこと、の3点を挙げている。氏は、この困難は文化芸術に限らず福祉や教育にもあるが、文化芸術ではとりわけ濃縮された形で現れるとしている。

(4)評価する側もまた一枚岩ではなく、互いにバイアスを持つ(主体間のインセンティブ構造の相違による分断など)

 鬼木和浩氏は、行政の自己評価・パートナー団体との相互評価・職員個人の業績評価が並存する構造を「評価曼荼羅」と呼び、行政の自己評価には「甘くなる懸念」が、行政とパートナーの間には「なれ合いによる緩い評価」のリスクがあると語る。

 また、吉本光宏氏からも、調査結果を行政に説明しても「陳情」として扱われてしまうという、現場と行政の根深い分断の報告があった。

 鬼木氏はさらに、西出順郎氏(公共政策大学院)の議論を引きながら、政策評価はしばしば「政策の妥当性を検証する装置」から「政策を事後的に正当化する装置」へと変質してしまう、と指摘している。

(5)精緻な仕組みを作っても、たいてい使われなくなる(評価の形骸化)

 吉本光宏氏は、文化庁委託の調査研究で、補助金事業のために緻密なロジックモデルとアンケート・インタビューの様式一式を作り、公共劇場で実証調査まで行ったが、「その後は活用されていないと思う」と率直に振り返っている。理論的に美しい仕組みほど実務では続かない、というのは皮肉な現実だが、多くの実務関係者には頷けるところだろう。(英国アーツカウンシルが定量一辺倒の評価から、数十年かけて質・量併用の評価へ舵を切ってきた歩みは、この点で示唆的である)。

 

2 (京都という)自治体の、少し余計な難しさ

 個別の自治体、例えば京都市の場合、話はもう一段複雑になる。

 京都市では、世界文化自由都市宣言(1978年)という都市理念、「歴史と文化の積み重ね」「自然との共生」「人とのつながり」という“まち柄”をまとめた京都基本構想、そして京都文化芸術都市創生条例第3条が掲げる五つの基本理念など、複数のフレームが設定されている。この3層のどの言葉で成果を語るかによって、同じ事業の評価は違う顔を見せる。

 つまり自治体では、国レベルよりもいっそう、「価値」が輻輳したものになっているということが言える。

 

3 より切実な、現場の困難

 文化政策、とりわけ行政実務において、本当に評価が求められるのは、議会や予算査定の議論の場においてである。

 財政の担当者から「昨年度この事業はどういう成果を挙げたのか」と問われたとき、ほとんど即日のうちに、文化芸術に詳しくない相手にも一読で伝わる形で答えねばならない。「関係性が深まった」では判断材料にならず、来場者数だけでは大切な質を切り捨てる。この板挟みこそ、理論には現れにくい最前線の悩みだろう。

 この板挟みは、実は制度設計そのものの場面にも現れる。「京都文化芸術都市創生計画」のような文化政策のマスタープランに、いくつかのKPIを明記すべきかどうか、こうした点が審議会でも議論されているが、委員からは「文化を数値目標に切り縮めるべきではない」という見解が示されることが多い。しかし、財政当局や議会の側からすれば、「なぜ数値目標を掲げないのか」という問いは、ごく自然に出てくるはずだ。両者の言い分は、それぞれの立場からすればどちらも正しい。この掛け違いの調整困難さにより、計画は抽象的な理念を示すだけの文書になり、財政当局は数字のない計画を予算査定の根拠にできない、という膠着状態が続いてきているのではないだろうか。

 もう一つ、そもそも評価の材料となる統計が、自治体にはほとんど存在しないということも指摘しておきたい。国には一定の基幹統計があるが、自治体の分野別データの多くは、出所をたどると国勢調査や社会生活基本調査(いずれも都道府県単位)、文化庁調べに行き着き、自治体独自の調査が見られることは稀だ。

 

4 処方箋

 こうした困難を前にすると、つい「これさえあれば」という万能の評価指標を探したくなる。しかし、それは大きな罠だろう。一つの物差しで全てを測ろうとすることをやめ、目的や場面ごとに違う評価の仕方を意図的に使い分ける、という構えを持つことの方が重要ではないか。

 説明責任のための評価と、価値を掘り起こすための評価とは、そもそも別の作業であり、同じ様式に無理に押し込める必要はない。評価とは、行政の言葉・現場の言葉・受け手の言葉という異なる言語の間を行き来する「翻訳」の作業なのだと捉え直せば、一つの正解を求める窮屈さから、少し自由になれる気もする。先のKPIをめぐる掛け違いも、政策を律する少数のKPIと、個別事業ごとの評価とを、はじめから別の階層として設計し直すことで、多少なりとも解きほぐせるのかも知れない。

 そのうえで、より実務的な処方箋も記しておきたい。精緻なロジックモデルを一から組むのではなく、①事業の目的、②主要な数字を一つか二つ、③象徴的な逸話を一つ――これをA4 1枚にまとめ、事業が終わるたびに更新しておく。(「ポータブル・エビデンス」とでも言うべきか。)統計を自前で揃えられないなら、既存の調査を、精度の限界を自覚しつつ借用する。目新しさはないが、こうした地道な積み重ねの方が、理論的に美しい仕組みより長く生き残るのではないか。

 

 評価を厳密にすることは、現場の営みを否定することではない。その価値にふさわしい言葉と、短い時間で伝える手立てを用意しておくことこそ、現場を守ることにつながる。

 積み重ねられてきた文化の厚みが、限られた時間の中でも言葉にされ、共有され、次の1年へ(予算へ)とつながっていくことを願う。

アーツカウンシルと京都芸術センター

 文化政策の議論を追っていると、ときに「言葉」があまりに大きくなり過ぎて、かえって「芯」が見えなくなってしまう事態に出くわすことがある。

 先日発表された第1回「日本文化政策学会 自治体表彰」において、京都芸術センターが受賞を果たした。2000年の開館以来、四半世紀にわたって若手アーティストの制作を支え続けてきた同センターの実績を考えれば、この顕彰は極めて妥当であり、心から祝福されるべき出来事だ。

 しかし、その選考理由や、これに先行する報告書の中に躍る「実質的なアーツカウンシル機能」という表現に触れたとき、文化政策を考える者として、少しだけ立ち止まって考えたくなる違和感も覚えた。

 今回は、京都芸術センターが果たしてきた真の価値を肯定しつつ、私たちが「アーツカウンシル」という言葉をどう扱い、これからの地域文化の生態系をどう設計していくべきかについて、個人的に思考の整理を試みたい。

 

1 「アーツカウンシル」の理念系と、日本における言葉の拡大

 本来、文化政策学や国際的な制度史において「アーツカウンシル」が指し示してきたのは、きわめて厳密な構造を持つ独立行政機関だったと思われる。

 それは単なる「アートの支援組織」ではない。

・アームズ・レングスの原則(政治や行政の直接的介入からの制度的自律)

・ピア・レビュー(現場の専門家・同僚による評価体系)

・公的助成金の独立した分配権限(Grant-making Authority)

この三つを核とする、行政(の政治的意向)から一定の距離を保ち、「表現の自由と多様性を守る公金の司令塔」として機能する――これがアーツカウンシルの原点的な定義だろう。

 ところが、近年の日本における「アーツカウンシル」という言葉は、極めて柔軟に、悪く言えばいささか曖昧に消費されるようになっていると感じる。資金の分配権限を持たず、行政の指定管理業務の枠内にある相談窓口や中間支援事業であっても、「アーツカウンシル的」というラベルが貼られるケースが増加しているのではないだろうか。

 現場に寄り添う伴走やケアの取組が評価されること自体は素晴らしいことだ。しかし、あらゆる「良い中間支援」をアーツカウンシルという言葉で括ってしまうと、言葉本来のエッジ(制度的独立性や資金配分権限)が鈍り、概念がバズワード化してしまう懸念がある。

 

2 「実質的なアーツカウンシル」

 今回の学会表彰の選考理由には、次のような一節がある。

 「コロナ禍ではアーティストや芸術団体に寄り添った相談対応等を担うなど、実質的なアーツカウンシル機能も果たしてきた。今後は、行政施策としての位置づけをより明確にし…」

 また、同センターの山本ディレクターもコメントの中で、制度や仕組みが十分でない部分を補うように実践を積み重ねるなかで「結果としてアーツカウンシル的な機能も獲得してきたといえるかもしれない」と、現場の切実な実感を綴られている。

 ここで私たちが注意深く(少々神経質に)読み解かなければならないのは、「現場の熱意と創意工夫によって生み出された素晴らしい実践」と「行政施策としての制度設計」は、本来分けて論じられるべきだという点だ。

 京都芸術センターの本質は、元明倫小学校という歴史的な空間(ハード)を持ち、そこで制作するアーティストと継続的に関係を築くソフトが一体となった都市型創造インキュベーター/クリエイティブ・ハブという点にある。

 助成金という仕組みではなく、制作室で悩み、迷うアーティストと同じ空気を吸いながら伴走する――。この濃密なインキュベーションの価値は、欧米型のアーツカウンシル(資金分配機関)の役割とは本質的に異なるものであり、それ自体で独自に誇るべきものだ。

 それを「実質的なアーツカウンシル」と呼んでしまうと、二つの意味ですれ違いが生じる。

 一つは、京都芸術センター独自の「空間を持つ伴走型インキュベーター」としての真の強みが、抽象的な言葉の中に霞んでしまうこと。

 もう一つは、京都市という自治体が、長年にわたり独立した公的助成の枠組みや制度的アーツカウンシルを設けてこなかったということが、文化政策的に正当に分析できなくなってしまう。(なお、京都市は、コロナ禍を機にArts Aid KYOTOという助成制度を設けているが、財源の全額を寄付金としており、少々独特の性格を有している。)

 現場のスタッフが誇りを持って制度の隙間を埋めてきた努力(矜持)は賞賛されるべきだが、そのことと行政制度の正確な把握とはまた別のことだ。

 

3 これからの文化政策へ:言葉を整理し、エコシステムを編み直す

 では、私たちはこの問題をどのように前向きな議論へと展開できるだろうか。必要なのは、概念の混同を抑制し、それぞれの役割を正しく位置付ける「整理のフェーズ」だと考える。

(1)インキュベーターとしての価値を正当に定義・評価する
 京都芸術センターのような場に求められているのは、無理に「資金配分型のアーツカウンシル」のふりをすることではない。「制作現場を持ち、共創(Co-program)やレジデンスを通じてアーティストの胚胎期を支える唯一無二のインキュベーション拠点」として、その評価を確立することこそが重要ではないだろうか。

(2)「制度的アーツカウンシル」と行政
 一方で、自治体(京都市)に対しては、指定管理者制度の枠組みだけに依存しない、独立した文化助成や政策評価を担う「制度としてのアーツカウンシル機能」をどのように捉え、考えていくのかという、構造的な問いを投げかけ続ける必要がある。

 これはロームシアター京都や京都コンサートホールを指定管理者として管理・運営する京都市音楽芸術文化振興財団や、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)、また京都市の直営事業である「京都市文化芸術総合相談窓口(KACCO)」などの各要素をどのように構造化するかという問題と深く絡み合う。

 

4 おわりに
 言葉を厳密に使うことは、現場の営みを否定することではない。むしろ逆だ。現場が汗を流して作り上げてきた固有の価値に、安易なラベルを貼るのではなく、ふさわしい名前を与えて守ることこそが、研究者や政策に携わる者の役割だと考える。

 京都芸術センターが積み上げてきた25年の軌跡は、京都・日本の地域文化にとってかけがえのない財産だ。

 「アーツカウンシル」という言葉のバズワード化を超えて、現場のインキュベーション機能と、自治体の制度的枠組みの双方が、それぞれの正当な役割を果たしながら噛み合っていくこと。この受賞をきっかけに、そうした成熟した文化政策の議論が京都はもちろん、全国の自治体へと広がっていくことを期待してやまない。

岡崎地域活性化の10年と少し

 岡崎地域は、京都市の都市部と東山山麓の間に位置するエリアだ。

 平安神宮や南禅寺等の寺社をはじめ、京都国立近代美術館や京都府立図書館等の文化施設、琵琶湖疎水沿いの四季折々の風景を楽しむことができる。

 岡崎地域は、平安時代末期に、院政が執り行われた白河殿のほか、法勝寺をはじめとする六つの寺院(六勝寺)が造営されたが、それらは鎌倉時代にかけて焼失し、その後は長らく農村が広がっていたようだ。

 近代に入って、この地域には再び脚光が当たる。

 東京奠都により京都が衰微する中、殖産興業策の一環として、琵琶湖疏水が計画され、水力発電によって電力が供給された。

 明治28年(1895)には、工業都市としての発展や京都の文化をアピールするため、政府主催の内国勧業博覧会と、平安遷都1100年紀念祭が同時開催された。博覧会会場には、紀念祭の象徴として平安神宮(社殿は平安京大内裏の朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元)が創建され、奉祝の行事として時代祭が実施された。

 博覧会跡地には、岡崎公園が開設し、図書館や勧業館、公会堂(大正天皇の即位大礼時に、二条城内に建築された饗宴場・舞楽場を移築されたもの)、美術館等の様々な施設が建てられ、文化ゾーンを形成していった。また、周辺の東山山麓では、風致保全と合わせた別荘地の開発が進み、疏水の水を活用した庭園群が形成された。

 戦後には、国際文化観光都市を標榜して昭和35年(1960)に京都会館が建設され、文化交流ゾーンとしての地位が確立された。

 

 京都市では、平成23年(2011)頃から10年程をかけて岡崎地域の活性化に取り組んできた。

 10年前には昭和に整備された施設の多くが老朽化し、極めて落ち着いた(有り体に言えばどこか打ち捨てられたような)エリアで、特に公共施設閉館後の夜間は寂しい状況となっていたが、近年の活況振りは目を見張るようだ。

 市の施策を時系列で記すと、大略以下のようになる。

 2009年11月 共汗でつくる新「京都市動物園構想」 策定

 2011年5月 岡崎地域活性化ビジョン 策定

 2011年6月 京都会館再整備基本計画 策定

 2011年7月 京都岡崎魅力づくり推進協議会 設立

 2015年3月 京都市美術館再整備基本計画 策定

 2015年8月 神宮道と岡崎公園の再整備(岡崎プロムナード) 完成

 2015年10月 京都市動物園 グランドオープン

 2015年10月 「京都岡崎の文化的景観」 重要文化的景観に選定

 2016年4月 無鄰菴 指定管理者制度導入

 2016年1月 ロームシアター京都(京都会館) 開館

 2020年2月 京都伝統産業ミュージアム リニューアルオープン

 2020年5月 京都市京セラ美術館(京都市美術館) 開館

 2020年6月 「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水」 日本遺産認定

 

 これらの中で、特に起爆剤となったのは、平成27年(2015)10月の岡崎プロムナード完成と、平成28年(2016)1月のロームシアター京都の開館であろう。

 以前は車道であった神宮道が歩行者専用化され、ロームシアター京都の中庭(ローム・スクエア)及びパークプラザ(蔦屋書店等が入居)と一体化して、大きな“広場”が形成された。これによって、人の流れが見違えるように変わった。

 その後、令和2年(2020)5月の京都市京セラ美術館開館によって、一連の施策はほぼ完成に至ったと思われる。青木淳・西澤徹夫による美しい建築、充実した企画展、豊かなコレクションの常設によって、美術館は息を吹き返し、毎週末多くの人が訪れる活力のある館になった。

 

 また、岡崎地域活性化の推進について、多様な行政リソースが絡み合っている点も非常に興味深い。

 博物館(美術館や動物園)、劇場の再整備といった文化振興の分野、文化的景観や文化財公開施設(無鄰菴)といった文化財保護の領域はもちろん、区役所、公園や産業の担当課、更には上下水道局までが参画して、一連の施策を進めてきた。

 様々な部署が、様々な文脈で、何度も何度も彫琢した結果が、現在の岡崎地域の状況を生んでいるのであり、この総合性は注目に値する。

 

 なお、これらの施策には様々な副作用もあった/あると思う。

 京都会館も京都市美術館も、その再整備に当たって様々な批判があったことは、まだ記憶に新しい。前川國男の文化財級の建築の改変、高さ制限の変更、公共施設への企業名の導入、彫刻の撤去、財政の圧迫などなど、議論の的になったトピックは多数挙げられる。(京都会館を巡る議論についてはブログ「I Love Kyoto Kaikan」が詳しい。)

 ここで詳細を論じる余裕はないが、いずれ歴史の波に洗われ、一々の功罪が明らかになるだろう。(少なくとも、今、私には、ロームシアター京都や京都市京セラ美術館が、京都の文化の振興に寄与していると信ぜられる。)

 

 さて、一連の岡崎活性化の掉尾を飾ると思われるのは、琵琶湖疏水である。

 疏水は、岡崎地域を南東から北西へ貫き、このエリアの景観の骨格を成している。歴史的にも、京都の近代史の起点となっており、京都市の小学生なら必ず習う必修事項である。疏水は、京都に電気をもたらした点でも重要であり(この電力は、電気鉄道を開通させ、映画産業を勃興させた)、また沿線の庭園群に水が引かれるなど、様々な文化を二次的、三次的に興隆させてもいる。

 岡崎地域の活性化において、この親水空間を楽しみ、歴史を掘り下げる事業は、まさに画竜点睛のものとなるだろう。

 令和2年(2020)6月に「京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水~舟に乗り、歩いて触れる明治のひととき」が日本遺産に認定され、また、同年11月には、文化観光推進法に基づき「琵琶湖疏水記念館を中核とする文化観光拠点計画」が認定された。令和2年(2020)から令和6年(2024)にかけて、総額9億59百万円規模(うち3分の2程度が文化庁の補助金と思われる。)の施策が進められているところだ。

 既に情報発信の質が明らかに向上しており、琵琶湖疏水記念館のハード面の整備も含め、今後の展開が期待される。

 ・日本遺産 琵琶湖疏水

 ・琵琶湖疏水記念館

 ・びわ湖疏水船

京都五山送り火

 2020年「京都五山送り火」の規模縮小について、広く報道されている。

 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/292554

 

 京都に数十年暮らす者としては、例年どおりの五山送り火がないというのは確かに少し寂しい。例年出かけて見物するわけでもないのだが、やはり季節を画するものであることには違いない。

 

 この数年は、仕事で関わることもあり、「京都五山送り火」について学ぶことが多かった。

 

 「京都五山送り火」はそもそも、全国的に見られるお盆の精霊(しょうらい)送りの一つである。

 日本では、お盆に祖先の霊(精霊)を墓参りや迎え火等の方法で迎え、数日後、送り火を焚いて送るという習俗が、今も各地に広く伝えられている。送り火は、各家庭の玄関先や庭で行われるもの、集落の境界や河原で行われるもの、山上や海浜で行われるものなど、様々な形態があるが、毎年決まった日に同じ場所で送るものとされている。

 五山送り火も、規模は非常に大きいものの、あくまでこうした送り火の一つということになる。

 

 「京都五山送り火」の起源は定かではないが、元々は、多くの燈籠を山の上で灯す「万燈籠(まんとうろう)」であったようだ。15世紀の史料に「四面の萬灯」などと記載があり、四方の山々で送り火を思わせる「万燈籠」が灯されていたことが分かっている。

 また、「万燈籠」から文字や図形に変わったのは、17世紀頃と考えられている。「大」「妙・法」「船形」は、江戸初期の『洛陽名所集』(1658年)に記されているのが最初とされていて、左大文字の記述は『日次紀事(ひなみきじ)』(1679年)、鳥居形は『諸国年中行事』(1717年)の記述が初出とされている。

 五山送り火の由来については様々な俗説があり、それはそれとして興味深いのだが、いずれも学術的な裏付けはない。

 

 お盆の行事は仏教の影響を受けた部分も多く、送り火も仏教行事と言われることがある。が、その根幹は日本古来の先祖崇拝の儀礼、つまり民俗行事と考えられる。

 「京都五山送り火」も、各山の麓の住民による地域の伝統行事であり、極論を言えば「町内所縁の山で、自分たちの御先祖様のために送り火を焚いているのを、市街地から多くの人が眺めている」という関係に過ぎない。

 (ただし、京都市では、1983年に「大文字送り火」、「松ケ崎妙法送り火」、「船形万燈籠送り火」、「左大文字送り火」、「鳥居形松明送り火」の五つを、それぞれ京都市登録無形民俗文化財に登録している。その点では、市民共有の文化財という公的な性格もあると思う。)

 

 2020年の「京都五山送り火」は、各山1~6基の火床に点火されるのみで、文字や図形は構成されない。が、本来の意義に鑑みれば、小さくとも火を灯すことに意味があり、その形態は(それはそれで数百年の歴史があり、重要ではあるが)本質的ではない。

 今年の五山送り火の規模縮小は、感染症拡大防止に鑑みられたもので、第一には、見物の方々の密集、密接を避けるために為される。(意外と御存知ない方もおられるが、8月16日の点火時刻前後には、出町柳や嵐山の特定のエリアに、数万人の方々が殺到する。)五山送り火はイベントではなく、もちろん入場制限といった概念もない。その人出をコントロールすることは事実上不可能だろう。こうした状況に備えて、各保存会の総意で「規模縮小」を決められたのだ。

 

 従って、巷の誤解や揶揄に敢えて反論するなら、以下のいくつかの点を述べることができる。

一、当たり前だが、火と火の距離を離すことでソーシャルディスタンスとしたいわけではない。もっともそのことで、点火する保存会の方々(山によっては、例年は数百人に及ぶ。)の密集は避けられる。

一、送り火は疫病退散を主眼とするものではない。感染症の流行る今だからこそやるべし、というのは根拠の薄い申立てであろう。

一、文字や図形を構成せずとも、「京都五山送り火」の本質は揺るがない。ましてや火の多寡で効果(というのも変だが。)が変じるわけではない。

 

 「京都五山送り火」は、各山とも、わずか数十戸によって、数百年にわたって継承されてきている。まずそのことに驚かされる。

 世界中の多くの伝統行事がそうであろうが、五山送り火も、継承に当たって様々なリスクに晒されている。保存会の方々に親しく接すれば一層、何か一つ歯車が狂えば、たちまち瓦解しかねないとも思わされる。

 (例えば、現代人の暮らしが山から離れた中で、良質な資材(松)を毎年一定量確保するのは、徐々に困難になってきている。あるいは、家制度が緩くなり、伝統から離脱する選択肢も普通のことになっている。)

 

 「京都五山送り火」は、透徹したコンセプトと、歌舞いた表象を捉えれば、現代美術のように見ることもできる。本来の文脈とは異なる視点で敢えて見ると、その常世離れした凄味が浮き上がる。

 

 今は、その継承の困難さや、その我々に強く迫るような在り様を改めて想い、来年また元どおりに実施されることを願うのみである。

歴代内閣の嫌われ方

 日経世論調査では、1987年9月から定期的に内閣支持率を調査しており、内閣を「支持しない」と回答した者には、その理由も尋ねている。
 https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/cabinet-approval-rating/


 不支持理由の選択肢には、時期によって多少の異同はあるが、「○○党中心の内閣だから」、「政策が悪い」、「国際感覚がない」、「指導力がない」、「安定感がない」、「人柄が信頼できない」、「清潔でない」、「政府や党の運営の仕方が悪い」などの項目が挙げられている。


 このデータによって、歴代内閣の“不人気の理由”を見てみると、思いのほか特徴がはっきり読み取れて興味深い。
 各内閣について、それぞれ最後の5回の調査を見ていくと、小渕内閣以降では概ね以下のようになる。
 ※()は当該理由を選んだ方の割合が最大であった時の割合


 安倍: 人柄が信頼できない(50%)
 野田: 政府や党の運営の仕方が悪い(57%)
 菅: 指導力がない(73%)
 鳩山: 指導力がない(66%)
 麻生: 指導力がない(62%)
 福田: 指導力がない(62%)
 小泉: 政策が悪い(46%)
 森: 指導力がない(64%)
 小渕: 指導力がない(54%)


 小泉内閣は、一貫して「政策が悪い」という理由によって支持されていない。何しろ行政の長なのだから政策がよくないとされるのは致命的なことではある。が、逆に、それだけ政策が論議され、注目されていた時期だったと考えることもできる。


 小泉内閣を除く、小渕内閣〜菅内閣の6内閣では、「指導力がない」ことが不支持の理由となっており、最もポピュラーな嫌われ方と言える。ただし、2番目の不支持理由まで見ると、森内閣は「人柄が信頼できない」、麻生内閣は「安定感がない」、菅内閣は「政府や党の運営の仕方が悪い」という理由が挙がっており、それぞれの個性を感じられる。
 ちなみに、管内閣では、東日本大震災直後の2011年4月・5月の調査で、「指導力がない」という不支持理由が70%を超えている。当時、いかに“指導力”が希求されたかを、これまた逆説的に示すものと思われる。


 このような中にあって、安倍内閣の嫌われ方は少し独特である。
 「指導力がない」「政策が悪い」といった“穏当な”理由ではなく、「人柄が信頼できない」が不支持理由の大半を占めている。政策的な良し悪しや、リーダーとしての資質ではなく、それ以上に、“人柄”という感情的な理由が選ばれているのだ。
 政治的リーダーの本質に人柄は関係ないという見方もあるだろう。政敵に嫌われる程度にふてぶてしい方が、味方には一層好まれるということもあるかも知れない。その意味では、「政策が悪い」と言われるより、「人柄が信頼できない」と言われる方が、まだマシかも知れない。
 とは言え,過去20年、このように“人間的に嫌われる”内閣はなかったという数的事実は、結構インパクトのあることである。

主要美術館・博物館 2018年度年間スケジュール

 主要な美術館・博物館の2018年度年間スケジュールをまとめました。


 ※特別展・企画展を中心に、コレクション展・公募展等は除外しています。


 300402主要美術館・博物館2018年度年間スケジュール.xls 直

芸術家の数(平成27年度国勢調査)

 平成27年度(2015年度)国勢調査に基づき、全国及び政令指定都市の芸術家の数を集計してみた。



 芸術家(著述家、画家、デザイナー、写真家、音楽家、舞踊家、俳優など)全体の数は、京都市では、2010年度調査では8,630名、2015年度調査では8,320名で、310名(3.6%)の減。

 全国では16,830名(3.6%)の増、近隣の大都市(名古屋市、大阪市、神戸市)でも増なので、京都市からは芸術家の流出が進んでいると言える。



 とりわけ「舞踊家、俳優、演出家、演芸家」は、全国では2,930名(5.7%)の増であるのに対し、京都市では330名(43.4%)の減と急激に減少している。

 KYOTO EXPERIMENTの開始(2010年)、アンダースローの開設(2013年)、あごうさとしのアトリエ劇研ディレクター就任(2014年)など、2010〜15年では、少なくとも小劇場演劇界隈では話題に事欠かなかったが、舞踊家や俳優の人口動態をプラスにする程の影響はなかった。

 一方、「個人教師(舞踊、俳優、演出、演芸)」の項目も、京都市では60名(15/4%)の減となっている。多くはバレエや邦舞の先生ではないかと思うが、例えば邦舞界で高齢化が進んでいることが一因なのかも知れない。



 全国で見ると、「彫刻家、画家、工芸美術家」が6,620名(21.2%)の増となっているのが目立つ。あいちトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭が2010年に始まり、2010〜15年は国際芸術祭が定着から飽和に至る5年だったと言える。こういったことも影響しているかも知れない。



 20180312芸術家の数(国勢調査から).xls 直