文化政策の議論を追っていると、ときに「言葉」があまりに大きくなり過ぎて、かえって「芯」が見えなくなってしまう事態に出くわすことがある。
先日発表された第1回「日本文化政策学会 自治体表彰」において、京都芸術センターが受賞を果たした。2000年の開館以来、四半世紀にわたって若手アーティストの制作を支え続けてきた同センターの実績を考えれば、この顕彰は極めて妥当であり、心から祝福されるべき出来事だ。
しかし、その選考理由や、これに先行する報告書の中に躍る「実質的なアーツカウンシル機能」という表現に触れたとき、文化政策を考える者として、少しだけ立ち止まって考えたくなる違和感も覚えた。
今回は、京都芸術センターが果たしてきた真の価値を肯定しつつ、私たちが「アーツカウンシル」という言葉をどう扱い、これからの地域文化の生態系をどう設計していくべきかについて、個人的に思考の整理を試みたい。
1 「アーツカウンシル」の理念系と、日本における言葉の拡大
本来、文化政策学や国際的な制度史において「アーツカウンシル」が指し示してきたのは、きわめて厳密な構造を持つ独立行政機関だったと思われる。
それは単なる「アートの支援組織」ではない。
・アームズ・レングスの原則(政治や行政の直接的介入からの制度的自律)
・ピア・レビュー(現場の専門家・同僚による評価体系)
・公的助成金の独立した分配権限(Grant-making Authority)
この三つを核とする、行政(の政治的意向)から一定の距離を保ち、「表現の自由と多様性を守る公金の司令塔」として機能する――これがアーツカウンシルの原点的な定義だろう。
ところが、近年の日本における「アーツカウンシル」という言葉は、極めて柔軟に、悪く言えばいささか曖昧に消費されるようになっていると感じる。資金の分配権限を持たず、行政の指定管理業務の枠内にある相談窓口や中間支援事業であっても、「アーツカウンシル的」というラベルが貼られるケースが増加しているのではないだろうか。
現場に寄り添う伴走やケアの取組が評価されること自体は素晴らしいことだ。しかし、あらゆる「良い中間支援」をアーツカウンシルという言葉で括ってしまうと、言葉本来のエッジ(制度的独立性や資金配分権限)が鈍り、概念がバズワード化してしまう懸念がある。
2 「実質的なアーツカウンシル」
今回の学会表彰の選考理由には、次のような一節がある。
「コロナ禍ではアーティストや芸術団体に寄り添った相談対応等を担うなど、実質的なアーツカウンシル機能も果たしてきた。今後は、行政施策としての位置づけをより明確にし…」
また、同センターの山本ディレクターもコメントの中で、制度や仕組みが十分でない部分を補うように実践を積み重ねるなかで「結果としてアーツカウンシル的な機能も獲得してきたといえるかもしれない」と、現場の切実な実感を綴られている。
ここで私たちが注意深く(少々神経質に)読み解かなければならないのは、「現場の熱意と創意工夫によって生み出された素晴らしい実践」と「行政施策としての制度設計」は、本来分けて論じられるべきだという点だ。
京都芸術センターの本質は、元明倫小学校という歴史的な空間(ハード)を持ち、そこで制作するアーティストと継続的に関係を築くソフトが一体となった都市型創造インキュベーター/クリエイティブ・ハブという点にある。
助成金という仕組みではなく、制作室で悩み、迷うアーティストと同じ空気を吸いながら伴走する――。この濃密なインキュベーションの価値は、欧米型のアーツカウンシル(資金分配機関)の役割とは本質的に異なるものであり、それ自体で独自に誇るべきものだ。
それを「実質的なアーツカウンシル」と呼んでしまうと、二つの意味ですれ違いが生じる。
一つは、京都芸術センター独自の「空間を持つ伴走型インキュベーター」としての真の強みが、抽象的な言葉の中に霞んでしまうこと。
もう一つは、京都市という自治体が、長年にわたり独立した公的助成の枠組みや制度的アーツカウンシルを設けてこなかったということが、文化政策的に正当に分析できなくなってしまう。(なお、京都市は、コロナ禍を機にArts Aid KYOTOという助成制度を設けているが、財源の全額を寄付金としており、少々独特の性格を有している。)
現場のスタッフが誇りを持って制度の隙間を埋めてきた努力(矜持)は賞賛されるべきだが、そのことと行政制度の正確な把握とはまた別のことだ。
3 これからの文化政策へ:言葉を整理し、エコシステムを編み直す
では、私たちはこの問題をどのように前向きな議論へと展開できるだろうか。必要なのは、概念の混同を抑制し、それぞれの役割を正しく位置付ける「整理のフェーズ」だと考える。
(1)インキュベーターとしての価値を正当に定義・評価する
京都芸術センターのような場に求められているのは、無理に「資金配分型のアーツカウンシル」のふりをすることではない。「制作現場を持ち、共創(Co-program)やレジデンスを通じてアーティストの胚胎期を支える唯一無二のインキュベーション拠点」として、その評価を確立することこそが重要ではないだろうか。
(2)「制度的アーツカウンシル」と行政
一方で、自治体(京都市)に対しては、指定管理者制度の枠組みだけに依存しない、独立した文化助成や政策評価を担う「制度としてのアーツカウンシル機能」をどのように捉え、考えていくのかという、構造的な問いを投げかけ続ける必要がある。
これはロームシアター京都や京都コンサートホールを指定管理者として管理・運営する京都市音楽芸術文化振興財団や、東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)、また京都市の直営事業である「京都市文化芸術総合相談窓口(KACCO)」などの各要素をどのように構造化するかという問題と深く絡み合う。
4 おわりに
言葉を厳密に使うことは、現場の営みを否定することではない。むしろ逆だ。現場が汗を流して作り上げてきた固有の価値に、安易なラベルを貼るのではなく、ふさわしい名前を与えて守ることこそが、研究者や政策に携わる者の役割だと考える。
京都芸術センターが積み上げてきた25年の軌跡は、京都・日本の地域文化にとってかけがえのない財産だ。
「アーツカウンシル」という言葉のバズワード化を超えて、現場のインキュベーション機能と、自治体の制度的枠組みの双方が、それぞれの正当な役割を果たしながら噛み合っていくこと。この受賞をきっかけに、そうした成熟した文化政策の議論が京都はもちろん、全国の自治体へと広がっていくことを期待してやまない。