滋賀会館

 シンポジウム「滋賀会館の放課後」へ行く。
 会館のサイトには次のように説明が掲げられている。「アート現場で活動する様々な人々の活動事例を中心に、アートに関わることについて考えます。また、滋賀会館を含む周辺地域で何が出来るのか?参加者と一緒に可能性を探ります。」
 パネラーは、はなれの須川さん、美術家の高嶺さんほか。


 滋賀にはほとんど縁がない。滋賀会館のことをよく知らないまま、どうやら何かの文化施設で、消えて無くなろうとしているらしい、という曖昧な認識だけで、シンポジウムに臨んだ。
 パネラーがそれぞれの活動を簡単にプレゼンし、その後、意見交換をする。会場の幾人かから、滋賀会館への愛情が示される。が、それらは、僕に特段の感銘を与えない。


 印象は、シンポジウム後の“滋賀会館ツアー”で一変した。
 屋上、最上階の映画館から順に、諸室を見て回る。会館全体が古くてスキだらけである。緩い。よく分からぬ青々とした空間が、ただ広がっている。かと思うと、文化サロン(喫茶店)があり、自民党支部や行政関連団体の事務室があり、地下には八百屋や魚屋(の跡)まである。今は使われなくなった大ホール、映写室、タイル張りのロビー。
 グルグルと構造を捉えられぬまま、狭くて暗い廊下、県庁へ続くという廊下などを見て回る。


 一口に言うならば、そこには、特権的な空間があった。ただ、それだけがあった。


 滋賀会館のような場所は、全国的に見ても稀少であろう。たとえば、京大・西部講堂にも同様の自由があるが、それでも“我々”以外の誰かの手が入っていることを思わせる。東京で見た古いビルや、大阪の寂れた倉庫も、やはりそれは“我々”のものではなかった。
 滋賀会館は、そこに集まった者たちだけの、“我々”の秘密の花園を想起させる。明日から、ここで何かを始められるのではないか、という錯覚を抱かせる。大変な親密さだ。


 シンポジウム後、人々の集まった中華料理屋では、滋賀会館の今後のことが様々に述べられた。僕は、この建物に感銘を受けるが、まだ出会ったばかりで、とりつくシマがない。ともかく、同館の今後に注意しておこうと思う。


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