マンガン・ナイトクルーズ

 「燃える世界遺産マンガン・ナイトクルーズ〜」へ行く。


 市立京北病院の近くには「マンガン記念館」という案内看板が出ている。側を通る度、これは何だろう、と気になっていた。その後、高嶺さんが、京都ビエンナーレの際、そこで作品を発表したのだということを知る。
 丹波マンガン記念館。一九八九年設立、旧京北町の山中に位置し、丹波地方のマンガン採掘の歴史を扱っている。特に、戦前〜戦中に強制連行された朝鮮人の労働の様子を大きく取り上げており、その立ち位置は、相当にハードでラディカルだ。設立以来、全てを個人の力で賄っているという、その話を聞くだけでも強い想いを感じさせる。
 マンガン記念館は、この五月末で閉館する。
 「マンガン・ナイトクルーズ」は、同館の閉館を記念して、高嶺さんたちが企画したものだ。


 三時半に、レンタカーを借り、烏丸御池を出発する。京北には仕事で何度か行っているが、自分で運転して行くのは初めてだ。道は何度も曲がり、いくつかの山を越える。
 五時、件の看板が見える。激しい雨が降り始める。


 会場は、表の車道から奥に入った記念館の裏手、林の中に設けられている。緩やかな傾斜に杉が林立し、椅子代わりに無数の切り株が置かれている。ぬかるみと苔とデイジーの花。雨を透かして見ると、それらは御伽噺のように見える。


 ステージはいずれも印象的なものであったが、とりわけレイハラカミの演奏は美しいものであった。
 七色の光彩に照らされながら、ハラカミは、これ以上のものはそうは望めまいというような音を重ねる。杉のシルエットの向こう、空が群青から黒へ移り変わっていく。このような山奥に、我々は集い、空を見上げ、音を聴いている。それは狸狐の幻の祭のごときものである。光が明滅する。


 記念館周辺には、いくつもの採掘跡が口を開けている。うちの大規模な一つは整備され、ありし日の様子を今に伝えている。何体もの人形、補強の柱、電燈、キャプション。これらが全て個人の手でなされたとは、俄かには信じられない。大変なことだ。
 高嶺さんの作品「在日の恋人」も、そのような採掘跡の一つに置かれている。が、一口にそれを説明することは、今はできない。洞窟の奥、持参の明かりを隠すと、そこには闇だけが残る。


 http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/
 takaminet.com