未来への素振り

 京都芸術センター「未来への素振り」展を観る。


 てんとうむしプロジェクト「未来への素振り」展


 以下、HPから。
 「本展は、京都芸術センターのボランティア・スタッフが中心となって組織する「てんとうむしプロジェクト」によって企画運営されるものです。2009年6月に最初のミーティングを行い、展覧会のテーマを話し合いました。それをもとに8月に、小山田徹と伊達伸明を出品作家に決定。それ以降、出品作家とともに展覧会の内容について話し合いを重ねてきました。
 本展は2つのセクションによって構成されます。伊達伸明がメインコーディネーターをつとめるギャラリー北には、記憶をテーマにした空間を作り、これまで私たちが日々の生活の中で何に触れてきたのか振り返ります。他方、小山田徹がメインコーディネーターをつとめるギャラリー南には、ミニアートセンターを作ります。日々の生活の中で使っている物や深く関わった物といった、個々人にとって身近な物を展示し、会期中連日、トークイベントを開催します。トークイベントを担当するのは、主に「てんとうむしプロジェクト」に参加しているボランティア・スタッフです。
 『未来への素振り』展では、来るべき未来に対する準備運動として、これまでの過去・現在を振り返り、語り、他者と共有します。そしてそうした「素振り」を通して、未来を想像/創造することを目指します。」


 センターは今年四月に十周年を迎える。過去・現在を振り返り、未来を想像/創造するという同展は、その意味でも重要な企画展だ。ちなみに“てん”“とう”“むし(六+四)”は、いずれも十に関係している。


 展示は二つのパートから成るが、小山田の用意したプログラムはとりわけ興味深い。彼は、会期中の二十日間余り、毎回、違う人(センターのボランティア、所縁の人、スタッフ等々。美術の専門家もいれば四歳の子どももいる。)を迎えてトークを開催する。トークには、毎度、テーマが設定されており、その人の意外な、あるいは私的な一面を垣間見せる仕立てになっている。たとえばセンター事務局長は『参観日に出たトマト』、国立国際美術館研究員は『ライトは内野と一緒』、科学史家は『そば屋で酒を』といったテーマで話すことになっている。


 小山田のプランには、幾つも面白い点がある。


 一つ目は、ギャラリー内に設けられた山小屋風の建物だ。小屋はミニマム・アートセンターと称されており、作家の考える“センター”というものを体現している。小山田は次のように言う。「普段、人と人生についてぼんやりと語り合ったりするような、そのような多様な交流の総体が、実はセンターというものではないか。これを濃縮すれば、たとえばこのような小屋に、あるいはそこに設えた炬燵のようになる。」
 先のセンター運営委員会でも、前田珈琲という喫茶店の存在が話題に上った。何とはなしに人が集い、通り過ぎ、話し声が聞こえ、黙々と本を読む。そのような場こそがセンターなのではないか、と。これらのことは、今後の京都芸術センターを考えるためにとても示唆的だと思う。


 二つ目は「素振り」という概念だ。多くの人は野球の素振りなど、スポーツに関係したイメージを思い浮かべるだろう。小山田の提示した概念は、そのようなイメージを踏み台にして、もっと幅広く、拡張されたものだ。ゲームではなく、パフォーマンスでもなく。それ自体は目的ではない、日々、淡々と繰り返される、ある種の所作のための鍛錬。キャッチボールがコミュニケーションに重ねて語られることがあるが、実はコミュニケーションこそは、素振りの最たるものではないか、ということを作家は指摘する。その点で、総計五十時間に及ぶ今回のトークは、正しく“素振り”的なのであろう。
 ちなみに、タモリ倶楽部の企画で、様々な「素振り」を収めたビデオ(そういうビデオがあるのだ。)を鑑賞するというものがあるそうだ。それによると卓球の素振りこそが群を抜いて面白いらしい。確かに野球やゴルフのような遠方に向けられた素振りと違い、卓球のそれは、近く、速い。内にこもるような濃密なものだ。そのような卓球のスイングを、ゲームの外で淡々と繰り返すことは、どこかおかしみを生むのかもしれない。


 三つ目は、トークの形式だ。
 一、作家や評論家だけではなく、直接は美術に関係のない素人も多く迎える。
 一、二十日余り、毎日、連続で話す。しかも初日は六時間に渡って。
 一、会場には炬燵が据えられており、椅子も適宜出し入れされる。
 一、出入りも、発語も、基本的に自由。
 ギャラリー空間へ、生活における発話、日常的関係性を持ち込むという意図がそこにはあるだろう。それはリクリット・ティラバーニャに代表されるような、リレーショナル・アートととして考えることができる。もちろんそこには意味の分からぬ不快な発言も差し挟まれ得る。小山田と運営者たちは、集った人々の固有の慣習や、公私の境界、あるいは発話者の人生というものをも引き受けながら、毎日、話し続けることになるだろう。しかし、省みれば、我々の日常は、意識せぬままに、いつもそのようなものであったのだと言える。