池水慶一
京都芸術センター「PLAYのキセキ」へ行く。
ハプニングからパフォーマンスに至る美術の流れの中で、アーティストグループPLAYが果たした役割に光を当て、現代における美術と「行為」の関係や可能性を探る。ゲストに、グループの中心メンバーである池水慶一氏を迎える。
PLAYのことは一昨年の「六本木クロッシング」展で知った。同展に池水氏が出品しており、そのときに少し調べた。
印象的な作品は「雷」。山の上に櫓を組み、雷が落ちるのを待つ、というもの。櫓は、一定の期間が終われば解体し、また次の年に新たに作り直す。十年やったが、結局、雷は落ちなかったそうだ。
PLAYには美術家は池水氏くらいしかいなかったそうだ。法律家、建築家、看板書きにデザイナー、それに八百屋や魚屋。それぞれ、交渉ごとがうまかったり、専門知識があったり、いろいろな特質があり、その都度、出入りしていた。
このようなあり方はhanareの志向にも通じるところで、興味深い。
池水氏の語りは飄々としていながら、しかし現在の状況も見据えた、リアルなものであった。真摯で、フランクで、型破り。
彼は、昔、中学校で美術を教えていたそうだ。RCサクセションの曲に『僕の好きな先生』というものがあるが、その中の「先生」はきっと池水氏のような人だったのだろうと思う。
http://www.ne.jp/asahi/ike/mizu/p/index.htm