薪能

 平安神宮薪能を見に行く。


 薪能を見るのは初めてのことだ。京都市・京都能楽会の主催で昭和二十五年に始まり、今年で六十回目を迎えるとのこと。先の市民狂言もそうだが、知らぬところで、歴史が積み重ねられている。


 薪能は、野外で行われる。
 夕方、日が傾き出す頃に一曲目が始まり、二曲目が終わったところで火入れ式がなされる。松明の火勢は思いのほか強く、あちこちに飛び火するのではないかとさえ思われる。全景がずっと見渡せる程の遠くに座っているが、火の爆ぜる音がクリアに聞こえる。


 三曲目は『羽衣』。漁師が海辺で天人の羽衣を拾い…、という馴染みの物語だ。
 この頃には、辺りは薄墨を引いたように暗くなっている。なお暗くなっていくが、まだ仄かに明るい。そのような淡さの中、何かに気をとられて空を見ているうちに、のっと立つシテに気づく。金色の装束が火に揺れ、遅く、速く、天人が動く。ぼんやりみていると、いつ動いたのか分からぬ程だが、しかしクルクルと舞っているのは確かで、困惑する。一際の笛の音。振り返り、扇を開く。
 能の面白さは、幻の中に閃くリアリティにあるのだと、合点がいく。人形のようにさえ見えるシテが、いつの間にか動く。彼の手つきは、ふとした拍子に、あらぬはずの月や風を感じさせるが、それらはあっという間に掻き消え、ただ薄墨の空だけが残る。


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