小学校転生

 京北へ行く。


 昨年、京北病院の担当として、何度か京北地域を訪れた。京都の市街地から車で一時間、曲がりくねった林道を抜けると、山あいに町が開ける。今回は、来年度以降の文化芸術施策のための調査で訪れた。所属が変わり、しばらく京北に来ることもあるまいと思っていたのだが、思いがけぬことだ。


 京北は一町五村が合併してできた地域で、元々はそれぞれの地区に小学校があったそうだ。しかし生徒数の減少で数年前に三校が閉校になり、以来、そのまま放置されてきたという。話を聞きつけ、我々の構想している事業に使えないかということで、元小学校施設を見て回った。
 感触良好。


 担当者の方の話では、全国で二千校に及ぶ小学校廃校の事例があるという。この十年程の間に、優良な不動産資産が、相当な規模の塊として生じたことになる。それらは、これまでにも様々な形で転用されてきている。茨城のアーカスや、京都の芸術センターが僕には馴染み深いし、新潟では校舎が一つ丸々アートワークになっている例もある。
 人口や、ある世代の多寡というのは、社会構造に大きな影響を与える。団塊の世代を収容した小学校群は、少子化の進行の中で、一斉に違う役割を担おうとしているし、この種の動きは、小学校以外の他のクラスターでもあり得ることだ。
 今後十数年、福祉医療系の分野では、種々のサービス、システム、制度が膨張するだろうが、より長いスパンで見れば、どこかでそれは収縮し始める。たとえば五十年後、今の小中学生が老人ホームに入る頃には、今度はそれらが文教施設に転用されることになるかも知れないのだ。


 打ち捨てられた小学校を回っていると、そこに人々の挨拶を交わす声や、光や、雪の中に吐く息が見えることがある。そのような情景をふと想像することは、最も楽しい「仕事」の一つであろう。これからそこに、メジャーや法律書やパソコンをもってリアルな色彩を加えねばならない。