にんげんていいな

 Chim↑Pom「にんげんていいな」展を観る。


 山本現代のテキストから引用。
「今回の展覧会では「食」をひとつのキーワードに据えた二つの作品が展開されます。
 『クルクルパーティ』はChim↑Pomがこれから実際に行うパーティを再現し、公開する試みです。
 誰もが若い頃に一度は経験する、オールナイトでの「宅呑み」。翌朝、酔いもさめて来た頃に部屋を埋め尽くしているのは、先ほどまでの乱痴気騒ぎで作り出されたとんでもない「オブジェ」の数々。こぼれたビール、めちゃくちゃになったケーキ、壁に刺さった(かのように張り付いた)チップス、山盛りの灰皿。それらは時に、青ざめた世界の中で奇跡のように美しく彼らの目に映ります。彼らの不安定な生活の中での最上級の贅沢は“食べ物を粗末にすること”であり、そこで起きる最高に楽しく、最高に愚かなばか騒ぎは、見方を変えれば現代に於ける頽廃の雅とも捉えることができるでしょう。 
 日本を中心に普及している食品サンプルは豊かさのアイコンとも言える存在ですが、今回の展示では実際に行った狂宴の痕跡を食品サンプルという形で完全に型取りし、再現します。また、そのパーティの様子を納めた映像も同時に公開いたします。
 また、『making of the 即身仏(仮題)』は、『クルクルパーティ』の「飽食―享楽」の対局に提示される「飢餓―悟り」です。
 Chim↑Pomの中で造形担当の役割を担う稲岡求がいつも「making」の状態のまま完成に至れないことから、まさに今回の役に適任と自薦、かつメンバーからも指名を受け、彼自身が「伝統工芸品」としての“即身仏”になるまでの“making”を作品そのものとして発表するという企画が発動いたしました。
 ”ブッダに似ているから”という理由からもハマり役の稲岡が、展覧会会期中、進行形の即身仏として、いわば彫刻―リビング・スカルプチャーとして展示され、会期終了後には修行の成果で痩せ細った彼の姿をモデルに彫刻を制作します。ここではあくまでオリジナル作品が「稲岡」であり、彼の姿を模した彫刻があたかも仏像のように多く存在する意義を持って、それらは複製品となります。
 一般に、五穀断ち、十穀断ち、などの過程を経て僧が即身仏となりますが、今回はあくまでもChim↑Pomらしく「最後はジョークだし」、命に危険の及ばない範囲で展開していきます。」


 最近見た中でもっともショッキングなインスタレーション。それらは下劣な悪ふざけのように見えるが、しかし、ついつい考え始めてしまうようなフックを持っている。生と死の融合たるマツリのことを。社会システムにおける過剰さのこと、すなわちポトラッチのことを。
 そのような、取り留めない思考の先には、既に彼らはいない。彼らはもう身を翻し、バカ笑いをしている。
 即身仏と化す、生身のインスタレーションに問いかければ「今日で終わりなんで、ようやくバターピーナッツとか食えますよ」と、彼は言う。ジョークだし、というエクスキューズの、そしてにもかかわらぬ彼らの真摯さの、何と罪なことよ。