ねむれ巴里

 金子光晴『ねむれ巴里』読了。


 中国から香港、東南アジア、そしてパリへ。夫人三千代との流浪の旅は、虚飾と偽善、窮乏と愛欲に明け暮れる華やかな人界の底にいつ果てるともなく続く。『どくろ杯』に次ぐ、若き日の自伝。
 金子光晴自伝三部作の第二。


 この一、二年で読み始めた文筆家としては、金子はもっとも中毒性が高い。息の長い文章、詩人らしい芳醇な修飾、何よりも深くどんずりと胸の詰まるような物語に、幾日もかけて付き合うと、もう駄目である。しばらくはその気分が抜けない。


 『どくろ杯』でもそうであったが、著者の置かれた状況はまったくの八方ふさがりである。夜は長く、ただ陰鬱で、日の明けることは新たな苦しみの始まりでしかない。先も見えず、その先の見えなさの通りに、誤魔化すようにしてようやくその日を終える。よく生きていたものだ、と思うが、しかしどこかで飄として日月を送るような感もある。


 金子という人の基調が五臓に沁みていくようで恐ろしいが、三部作の最終部を求めずにはいられない。


ねむれ巴里 (中公文庫)

ねむれ巴里 (中公文庫)