子ども

 朝、子どもが産まれた。


 我々のお世話になったクリニックは、セレブっぽい産院として、界隈では有名なのだそうだ。診察室にはバング&オルフセンのオーディオやデザインチェアが置かれ、出産入院のメニューには、アロマテラピーや、なんとフレンチのディナーまで含まれている。
 これらは全て院長の趣味であるという。彼はクリニックの上階に住み、年間五百件もの、昼夜を問わぬ出産に追われながら、その世界観に磨きをかけ続けている。大変なことだ。


 妻はもともと、子ども受けのする性格ではない。
 彼女は、極度の人見知りな上に、ハートの片隅にシニシズムとアカデミズムを養っている。時折、恥ずかしさの余り(あるいはアルコールの力で)臨界点を突破し、思いもつかぬ奇想天外な言動を示す。が、馴染みのない人がそのような姿を目にすることは基本的にはない。
 入院のために妻が用意していた鞄の中には、ラカンの解説書が入っていた。それは、生まれいずる我が子を愛せるだろうかという、彼女なりの不安感の表れであったのだと思う。表れ方としては相当におかしい。


 出産は、LDR(居室型分娩室)で行われた。例によって、そこには四チャンネル対応のBOSEスピーカーと五十インチのプラズマテレビが置かれている。そして、妻が持参したDVDソフトは鈴木清順オペレッタ狸御殿』であった。
 何時間もの間、繰り返し、狸のポンポンという腹鼓の音が響き、鮮やかな清順カラーが咲き乱れる。そのような中、娘は誕生したのであった。