住み開き
はなれへ行く。
今日のメニューはカレー。とても辛い。
アサダワタルさんに「住み開き」についての冊子をいただく。
「住み開き」というのはアサダさんの造語で、「自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のこと」を指すのだそうだ。
冊子は大阪のNPO法人、應典院寺町倶楽部のプロジェクト(築港ARC)の一環で作られたものだ。博物館、図書館、古本屋など、大阪の住み開きの事例が紹介されている。
先日来、小山田さんの「共有空間」の話を聞いたり、OURの共有スペースの話をしたり、この手の話題に縁がある。
よう分からんけどわちゃわちゃ人がいる、という複雑性への憧れが僕にはある。そして、それは、基本的にはよいことだ、という信仰のようなものもある。中間的な共同体のことは、行政においても、学術的にも、しばしば言及される。書店の本棚を眺め、身の回りを見渡し、twitterやmixiの興隆のことを考えると、住み開き的システムへの信仰は、意外と多くの人に共有されているのではないかと思う。どうだろう。