良寛遺墨

 何必館「没後180年 良寛遺墨」展へ行く。


「本年は良寛没後180年にあたります。
 良寛(1758〜1831)は、新潟県出雲崎大庄屋の長男として生まれ、18歳で剃髪後、禅寺で修行を積みます。しかし、良寛がそこで見たものは、僧侶の堕落した生活と、浅薄な道心であり、「僧に非ず、俗に非ず」と覚悟を決めた良寛は、ふたたび故郷へ戻り、生家の傍で乞食行を自らに課し、どこまでも深く自問自答を繰り返し、内省的な日々を過ごしながら、数多くの作品を生み出します。
 それらは「人間の是非、看破に飽く」と放下し、任運に転ずる良寛の、滔々たる自然の姿そのままの書といえます。
 今回、比叡山延暦寺にて行われる、180年忌法要を記念し「良寛遺墨展」を開催いたします。
当館所蔵の「君看雙眼色 不語似無憂」「土波後作」「手毬屏風」「戒語」をはじめ「草庵雪夜」「題蛾眉山下橋杭」など、何必館コレクションを中心に、約50点を展覧いたします。
 これまでにない、良寛の名品による展覧会を是非ご高覧下さい。」とのこと。


 良寛の書は、甚だ弱く見える。弱いというのではない。“弱さ”のもつ、反転、崩落、沈黙を、その墨跡はまとっているというのだ。
 それは、松岡正剛に言わせれば、「どんなときにも「寸前と直後」を決して切り離さない」ということになる。
 「寸前と直後」というのは記憶の問題であるが、ここには、ギリシア古代の頃から、必ず「想起」のことがついてまわる。「想起」は、単に過去のイメージをそれとして取り出すというようなものではない。想い起こすその過程において、見出し、物語る、いわば未生以前のイメージを取り扱う仕草なのである。記憶は、未来にある。寸前が直後であること。デジャブというのは、そのようにして現れる。


 従って、この身を翻す者としての良寛には、いずれ誰もが出会う。漱石坪内逍遥も、そして魯山人もそうであった。
 一緒に良寛を眺めた娘もまた、いずれ彼に出会うであろう。彼女が十五のときか、三十路の前か、それとも知名の際か、それは分からない。あるいは禅僧は、明日にでも、路地の角で手鞠を突いているかも知れない。


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