独酌余滴

 多田富雄『独酌余滴』読了。


 インドの弱法師、茸好き、愛犬イプシロンとの日々−能をこよなく愛す世界的免疫学者が、日本・世界各地を旅し、目にした人間の生の営み、自然の美、芸術、故白洲正子との交友などを、深遠かつ端正な文章で描く。2000年度日本エッセイストクラブ賞受賞の珠玉の随筆集。


 多田富雄のことは、青山にある骨董屋の女主人に教えられた。


 世界的な学者として、多田はあちこちを飛び歩いている。人の行かないスラム街へも、わざわざ意識的に足を運ぶ。その経験が十全に生き、話の取っ掛かりはいつも面白い。が、しばしば、結論は“良識的な”ものに収束する。独酌の余滴なのだからそれでよいのであろうが、その人ならではの情動、見知らぬ土地に放り出されるときの趣というのはやや見えにくくなる。


 その点、能について著者が言及する箇所は興味深い。多田は、戦後すぐ、若くして小鼓を始める。それだけの能楽への熱量が彼にはあったのだろう。そこからは、浅い良識を超えた、多田富雄としての確信が感じられる。
 小鼓にも音階がある。紐の握り具合によって、四つの音が出るようになっている。しかも、鼓を打った後に調節を行うので、調べは、たくさんの倍音が混じった多音階性のものになる。これはそばで聞くと雑音のようで聞くに堪えないが、能楽堂の鏡板に反射し、客席に届く頃には深い美しい音になる。云々。
 このような鼓の音の機微についての彼の指摘は、僕には新しいものであった。何故、そのような面倒な音を、小鼓は選び取ったのか。純粋音ではないものが、いくつかのプロセスを経ることで、澄んだものになるというのは、どういうことか。興味は尽きない。
 

独酌余滴 (朝日文庫)

独酌余滴 (朝日文庫)