梶原緋佐子

 美術館、ギャラリーを歩く。


 京都国立近代美術館「生存のエシックス」展を観る。
 詳細は明日のシンポジウムの後に。


 京都市美術館「京の閨秀・女流・女性画家−担ったもの/担わされたもの」展を観る。
 京都市美術館では、この数年、予算や人員の不足のせいか、いわゆる自主企画の展覧会が行われていない(平成21年度実施の事務事業評価では、年間事業費は1億7千万円。職員数は、総務系を含め、11人)。その代わり、ハイレベルなコレクション展が定期的に開催されている。
 京都市美術館のコレクション展は二つの点においてハイレベルである。
 一つは、所蔵作品自体の質の高さ。コレクション展だけに、毎回見ていると、何度も同じ作品を目にすることになるのだが、全く飽きない。一連の展示を通じて、明治以降の(京都画壇を中心とした)一つの潮流が浮き彫りになって見える。とりわけ、竹内栖鳳については一大コレクションと言ってよいのではないかと思う。
 もう一つは、テーマの設定。毎回、凝ったテーマを設定し、しかも浅薄にならずに、確実に深い考察を加えている。記憶に残るところでは、2007年第1期「描かれたことば」がある。絵に登場する文字や記号、画家の署名などを取り上げ、美術と言葉の関係を検討したもの。理知的でありながら、叙情的でもあった。
 近年のテーマは以下のとおり。
 2008年:「うつわ考」「色−響きと調べ」「ふたつで一つ」「画室の栖鳳」
 2009年:「時空を旅する」「作家の一言/見者の一見…」「儚きもの」「花から花へ」
 2010年:「円と方」
 今回は「近代から現代までの京都における女性画家の作品を通して、社会において女性画家が担い、担わされた役割を考える」というもの。
 僕は梶原緋佐子の美人画が好きなのだが、本展では、一室まるごとを彼女に充て、「いでゆの雨」を出品するなど、個人的に大変楽しい展示であった。


 片野まん「2010」展を観る。
 モリユウギャラリーの佐川さんにお会いするのも目的の一つだったのだが、おられなかった模様。強い雨が降ってきたので、慌てて退散する。