山水思想

 松岡正剛『山水思想』読了。


 日本の水墨画は中国から渡来後、いつ独自の画風を備えたか。我々は画のどこに日本的なものを見出すか。そもそも日本画とは何か。著者の叔父は日本画家、横山操と親交があった。その縁を契機に著者は中世から現代までの日本画の道程をたどる。日本庭園にみる、水を用いずに水の流れを想像させる枯山水の手法を「負の山水」と名づけ、その手法が展開される水墨山水画に日本文化独自の「方法」を見出す。本書では雪舟『四季山水図巻』や、等伯『松林図』などの有名な作品を多数取り上げ、それら画人について解説を付す。画期的な日本文化論にして、精緻な絵画論考。


 僕は、松岡正剛に対して、畏敬の念を抱いている。本書も期待に違わず素晴らしい。が、彼自身、難産だった、と言うとおり、どこか書きあぐねている感も覚える。随所に、決め台詞やキーワードは出てくるのだが、それが、なかなかグルーヴを生まないのだ。


 日本の山水の変遷を、松岡は次のように整理する。


 一、日本の山水は縮小されている。
 一、それらの山水は彼岸の景色に同定された。すなわちヴァーチャルな想像力の対象となった。
 一、そのような山水は、「胸中の山水」にまで高められた。
 一、一方、想像力の対象としての山水に日本の実景が少しずつ当てはめられた。
 一、禅林に水墨山水が芽生えると、その画境が庭園化し、枯山水のような「負の庭」をつくりあげた。
 一、その枯山水をもう一度画境に戻したときに、初めて日本の水墨山水が確立した。


 山水という思想が、中国から日本に転移するときに、難渋を引き起こしたこと。そこで「負の介在」が導入され、初めて「日本」が得られたこと。その辺りの事情を松岡は明らかにする。
 これは、山水という思想をとおして示される、一つの歴史観であろう。「松岡史観」あるいは「編集史観」とでも名づけて、胸に刻むのがよい。


 松岡は、最終盤においてギアを変える。筆が高速で走り始める。
 「私は、ずっと方法に関心をもってきた。
  主題ではなくて、方法だ。
  事態や趣向を実際に動かしたもの、それが方法である。主題は何も動かさない。…」
 この確信的な宣言に続けて、彼は、日本が山水を我が物とした、その消息のうちに、「日本」の正体を見出していく。そして、それは明治において躓いたのではないか、今なお、我々は山水の消息のうちに立ち戻らねばならないのではないか、と説くのだ。
 極めて刺激的である。


山水思想―「負」の想像力 (ちくま学芸文庫)

山水思想―「負」の想像力 (ちくま学芸文庫)