自殺展ほか

 京都芸術センター「文化庁メディア芸術祭京都展」を観る。
 メディアアートと称されるもので、心底、興味を引かれるものはあまり多くない。作品はそれぞれに深い考察の下に成立しているはずなのだが、どこか表層的で、ピョコピョコした印象を覚えてしまう。何故そうなってしまうのか、このことは、もう少し解きほぐして考えねばならない。
 そのような中でも、BEACON PROJECT TEAM「BEACON」、REMSKETCH「魂戯れの記憶の記録」には目が留まった。
 「BEACON」は“記憶という闇を照らす灯台の光”をテーマにしたもの。スペース中央に置かれたプロジェクタが回転し、場にまつわる映像が、壁面をグルグルと回る。作品をさっと眺めたときは思い及ばなかったのだが、深い思索の種になり得ると思う。
 「魂戯れの記憶の記録」は、舞踏集団・大駱駝鑑の舞台作品を、一つの配置に落とし込んだもの。舞台芸術は、時間軸に乗って展開され、その記録も同様であると考えられる。本作は、その記録を膨大なカット&コラージュにより、動く曼荼羅絵図のように仕立てたもの。ここからは時間と空間の問題がスルスルと取り出されるだろうが、ここで曼荼羅というスタイルが選択されているのは、極めて適切である。
 http://plaza.bunka.go.jp/kyoto/index.html


 0000 gallery「自殺展」を観る。
 “死”はアートにとって一大要素と言えるであろう。エロスとタナトスの諸事情は、多くの作家に様々な形で取り上げられている。とは言え、これほど直截に“自死”を取り上げた展覧会は寡聞にして知らない。
 ここでことさら“直截”と言うのは、展覧会の目標が、直接的に社会に影響を与えることとして設定されているからだ。その語り口は、非常に単刀直入なものに思える。
 会場には、もちろん、“自殺”をテーマにした作品が並べられている。が、作品を見せるということ以上に、来場者と企画者(0000・緑川氏)がコミュニケーションをとることが重視されている。テーブルと椅子が用意され、企画者は来場者に“自殺をどう思いますか?”と問いかける。ある者は“私も自殺を考えることがある”と吐露するであろうし、ある者は、年間の自殺者数が交通事故による死者数よりも多いことを指摘する。
 http://www.0000arts.com/jp/


 小山登美夫ギャラリー「小出ナオキ展 Maternity Leave」を観る。
 Maternity Leave は“産休”の意。新しく生まれた娘や母親をモチーフに、新たにセラミックを素材に取り上げて制作されたとのこと。
 2mに及ぶ大作も出展されていた。天蓋つきのベッドに横たわる妊婦。その表皮には樹木が茂り、一方、お腹の中では、子どもや父親と思しき人物が座っている。安静なライテンィングと相俟って、父親の表情は、隣室で子どもの誕生を不安げに待つ者のそれのように見える。
 作品は、いずれも、賑やかな楽しさを感じさせる反面、どこか不吉な恐ろしさも滲ませる。それは子どもを持つということへの率直な感想であるとともに、ハレとケを一対で用意せずにはおかない、我々の呪術的習慣も想起させるのである。
 Tomio Koyama Gallery 小山登美夫ギャラリー – Tomio Koyama Gallery 小山登美夫ギャラリー