あいちトリエンナーレ

 「あいちトリエンナーレ2010」を観て回る。


 掲げられているテーマ「都市の祝祭」は、美学の諸理論を援用するような、ハードコアなものではない。お祭りを楽しみましょうね、という合言葉程度のもののように感じる。愛知で初めてのトリエンナーレであることや、現代美術のハイコンテクスチュアルな面を思えば、妥当な判断であろうと思う。


 コンセプト的には美学/芸術学的なフックを欠くものの、観て回った後の満足感は決して低くない。各会場の色分けがはっきりしており、また会場内の作品配置もすっきりしている。特に、芸文センター会場、名古屋市美会場では、ハイクオリティな作品群を、丹念に見られる環境が用意されている。
 街中で見かけるフラッグやベロタクシー、水玉模様のプリウスが、文字通り祝祭性を高める。ブランドの明快な構築により、ビジョンの成功を感じさせる。


 そのようなある種の分かりやすさの故か、観客数は相当好調に推移しているらしい。実際、どの会場にも人が溢れている。普段は美術館では見かけないような子供連れの方々も多い。作品に触る人や、インスタレーションの合間を走り回る子どもを見かけるなど、ヒヤヒヤさせられるところもあるが、間違いなく愛知における現代美術の裾野を広げているだろう。


 今回は、一日目に栄(愛知芸術文化センター)、納屋橋を、また、二日目に白川公園名古屋市美術館)、長者町を回った。うまくタイミングが合い、コンタクト・ゴンゾのパフォーマンス、ヤン・フードンの映像作品、西京人の人形劇も観ることができた。


 印象的なものは数多いが、二つだけ記したい。


 一つは、ツァイ・ミンリャン。映画の表現そのものを巡る物語を、ノスタルジックな映像で見せる。
 スペースには、映画館を模したと思しき構造が用意されている。観客は肉厚な椅子に座って、しかし正面からではなく斜めに、映像を観ることになる。
 実を言うと、僕は観ているうちに半分眠ってしまい、映像の隅々までを確認していない。しかし、この作品では、そのような夢見心地が、むしろ推奨されているのではないかと思う。いかにも映画的な映像、その、“映画なるもの”の魅惑を斜に観ること。斜に観つつも魅入られること。このようなアンビバレンツを陶然と感じさせるところにこそ、この映像の醍醐味があるように思う。


 一つは、コンタクト・ゴンゾ。
 観たのは初日の公演で、梅田哲也とのコラボレーションがなされていた。会場は愛知芸文センターの搬出入口。
 ゴチンと音がする程、したたかに頭を打つ。観客に雪崩れかかる。上昇するシャッターにぶら下がる。方々から悲鳴のような声が上がる程、予定調和ではない、凶暴さを感じさせる。
 と同時に、また静寂も。
 ラスト、梅田の運転する車に箱乗りになり去っていく。ゴンゾたち。
 例により、書くべきことは多いのだが、それは稿を改めたい。


 あいちトリエンナーレ2019