トランスフォーメーション

 東京都現代美術館「トランスフォーメーション」展を観る。


 本展は、都現美学芸課長の長谷川祐子と、文化人類学者の中沢新一との共同企画。


 強靭な思考の下に、多様な文脈を織り交ぜて展開する手法は、長谷川の企画した「Space For Your Future」展や「ネオ・トロピカリア」展でも見られたものだ。もはやお馴染みの長谷川節と言えるだろう。フランチェスコ・クレメンテ、マシュー・バーニー、スプツニ子!を並列するという作家選択も、彼女らしさを感じさせる。


 トランスフォーメーションという問題系は、非常に幅が広い。少し考えただけでも、変形、変態、合体、逆転、転移、溶解、機械化など、様々なキーワードが思い浮かぶ。「変身−変容」の射程の深さは、大筋の展示とは別に、古今東西の「変身−変容」に関連する資料がまとめられ得ることからも伺える。(しかも、このアーカイヴ展示は、それ単体でも極めて面白い。)
テーマ設定に手がかりが多い分、漫然と作品を眺めていると(各出品作はそれを許容する程にスペクタクルである)、かえって「変容」という大テーマから一つも考えの進まないまま、出口に辿り着くことになる。難しいものだ。


 トランスフォーメーション | 展覧会 | 東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO


 なお、同館常設展では、現在、山川冬樹「The Voice-over」が展示されている。釜山ビエンナーレ2008でも出品された作品。遺された音声、映像をもとに制作されたもので、暗闇の中、スクリーンと数台の古いテレビが置かれ、映像が明滅するというものだ。
 山川の父親は著名なアナウンサーであったそうだが、そのテレビ放映時の声や、家庭で録られたと思しき父子の会話が流れる。それは作家の追憶を想像させると同時に、鑑賞者自身の記憶をも呼び起こす。たとえば僕には、釜山の暗闇、そこで一人で立ち尽くした心象が思い出される。
 山川の用意した音声、映像の前に、“我々の”記憶が綯い交ぜに立ち上がる様は、ほとんど感動的と言ってよい。が、しかし、それはややもすると、角を丸め、甘い感傷として溶けてしまう。暗闇の印象を定型的なセンチメンタリズムに押し込めぬよう、少し時間をかけて考えたいと思う。