Perfect Moment

 東京オペラシティ・アートギャラリー「曽根裕 Perfect Moment」展を観る。


 ゲスト・キュレーターに遠藤水城が招聘されての企画。


 曽根裕について、僕は、ヴェネツィアビエンナーレ日本館の出展者として名前を知るくらいで、ほとんど予備知識はなかった。白い大理石の彫刻が本展のメインイメージだが、それだけを手がかりに、僕は鑑賞に臨んだ。
 展示は、大きく分けて三つのパートで構成されている。一つは、白い大理石の彫刻と金属/藤製のバナナツリー、それぞれ数点。一つは水晶の彫刻1点。一つは大写しにされた映像2点。大理石彫刻のパートでは、展示室内に土や植物が持ち込まれ、大規模なジャングルが再現されている。全体に作品数は多くなく、シンプルな構成の展覧会だ。


 展示は、ざっと見るだけでも、白い大理石の肌理、彫刻「リトル・マンハッタン」の精緻さ、映像「ナイト・バス」の叙情性、「ハッピー・バースデイ」のどことなくユーモラスな雰囲気などを楽しむことができる。が、後にその背景を詳しく知ると、それらが相当にポリティカルな作品であることも分かってくる。
 たとえば、白い大理石は中国産のもので、現地で、中国人の職人とともに制作されている。また、バナナツリーはメキシコで、これも現地の職人によって編まれている。ここからは、現代美術の作品が、グローバル企業同様のネットワークの中で生み出されていることと、作家と現地の職人たちとの個人的な交流のことが同時に立ち上がる。資本主義に相似の冷徹なシステムと、顔の見える相手との信頼関係。両者は矛盾したもののようにも感じられるが、曽根の作品においてはそれらが同居し、一つの造形として成立している。
 また、「ナイト・バス」は、作品名どおり、夜行バスの中から撮られた風景を編集したものだが、実はこの映像は作家が撮ったものではない。彼の友人たちが、作家の指示に従って撮影したものを、曽根が後に構成したものなのだ。このとき、作家は東京から一歩も出ていないが、しかしなお、彼は、それが自分自身の旅であると言い放つ。このとき、ここでもまた、経験なるものの(幾分ロマンチックな)更新とともに、眼/風景という近代的な問題が、二つながらに浮かび上がる。
 また、担当キュレーターの堀元彰が、極めて印象的だと語る「ハッピー・バースデイ」は、当初のピースフルな印象とは裏腹に、きわめておぞましいものとしても観ることができる。同作では、曽根自身が周囲の人々に誕生日を祝われ、ケーキの上の蝋燭を吹き消す映像が収められている。しかし、それは1度だけのことではない。何度も何度も、シーンとメンバーを変えて、作家は祝福される。(同じ日に何度も、場所を変えて祝われたと考えられなくもないが、おそらく作家は誕生日を意図的に詐称して回ったのだろう。)それは1年に1度、ユニークな人間の誕生/生存を定型的に寿ぐ機会である。その反復は、そのまま永遠への憧憬にも接続され得るが、その反復をこのように早送りするとき、そこからは思いがけないおぞましさが滲み出る。さらに、同作では定型的なお約束(の権力性)への、シニカルな視線を感じ取ることもできる。誕生日だと言われれば、人はおめでとうと応じねばならない。そのことの権力性。ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー♪と歌われたときにニコニコとしながら蝋燭を吹き消さねばならない、その権力性。このような支配の関係が、終わることのない悪夢のような祝福の中に浮かび上がる。


 書きかけ


 曽根裕展[Perfect Moment]|東京オペラシティ アートギャラリー


 メゾン・エルメスフォーラムにて、「曽根裕 雪」展も同時開催中。こちらは水晶の彫刻が多数出品されている。