日本奇僧伝

 宮元啓一『日本奇僧伝』読了。


 常人では思いもつかない、あるいは、思いついたとしてもとうてい実行できそうにもないことを、敢然とまた平然とやってのけてしまった、という逸話をもつ僧たち―歴史の表舞台に現れることはほとんどなかったが、人々の口伝えの中にその姿をしっかりと刻印していった者たち。豊穣な説話世界のなかに、こうした奇僧たちの像を探し求めつつたどる、もうひとつの日本仏教史。


 この数ヶ月に読んだものの中で、最も心楽しく読んだ。
 元々、この種の説話、古代の法師たちの物語が好きなのである。ごくあっさりとした記述の中に、神がかった伝説や、印象深い逸話が、てんてんと描かれる。その手触りが、好きなのである。


 奇僧たちの話には、幾つかのパターンがある。代表的なものは「寺を出奔する」というものである。彼らは、秀才として、あるいは貴い師として、たとえば比叡山のような大寺院の中で人々に敬われる暮らしをしている。が、あるときふいといなくなってしまう。中には、山を出るためにわざわざ狂人の振りをする者もいる。名利を捨て仏道に生きるため、彼らは、いわば二度目の出家をするのである。
 これは、日本の寺院のシステムが、深く俗世の権力秩序に結びついていたことによる。僧正などの位階が法によって定められ、重要ポストは朝廷が指名する、そのような場所で、本当に道を修めることなどできるはずがなかろう。そのように考えて古来、幾人もが寺を捨てたのである。


 『日本奇僧伝』では幾つもの伝説的な話、神通力のことも扱われている。本書の中では、西行が最も知名度があるのではないかと思うが、その西行も尋常に紹介されるわけではない。彼の、フランケンシュタイン博士ばりの行状が記される。
 西行高野山の奥に住んでいた頃、友人が京に移ってしまい、物寂しい思いをしていた。鬼は、人の骨を並べ、こうこうこうやって人を造り出すのだという話を聞き、西行もさっそく実践してみる。しかし、姿かたちは出来ても、色悪く、声も管弦のような音である。西行は、はたと困り、造った人を、人通わぬ山奥に捨て置く云々。
 この話は、もちろん史実ではないだろうが、その種になった物事を想像すると、また心躍るのである。

日本奇僧伝 (ちくま学芸文庫)

日本奇僧伝 (ちくま学芸文庫)