新宗教と巨大建築

 五十嵐太郎『新編 新宗教と巨大建築』読了。


 天理教金光教大本教など19世紀に立教した新興宗教から、真光教、パーフェクト・リバティ教団などの戦後の新宗教にいたるまで。なぜ近代以降の宗教建築は、いかがわしく不気味なものと見なされてきたのか。その建築・都市計画を読み解き、神道伝統仏教における建築や、海外新興宗教の都市計画とも比較する。建築批評の第一人者である著者が、日本の歴史・社会において新宗教という他者に向けられてきた視線を克明に描き出し、大きな話題を呼んだ表題作に、増補・書下ろしを加えた増補決定版。


 建築論の前提として、新興宗教の成り立ち、教義について、よくまとめられている。僕にとっては、むしろそこが興味深い。特に天理教については詳しく記述されており、その空間観と建築の関係についても説得力がある。モルモン教カオダイ教など、海外の新興宗教についての報告も面白い。


 僕は、宗教成立の最初期に興味がある。
 教祖なる人がいて、あるとき神の啓示を受けるとする。そのとき彼/女はどう感じるのだろう。啓示を受けて、まず何をしたのだろう。夕食の団欒の場で「今日、ちょっと不思議なことがあって云々」と話したり、あるいは喫茶店で友人に考えたことを開陳したりするのだろうか。そこから最初の“信者”を得るところ、10人、100人と帰依する人が増える過程はどのようなものなのだろう。
 想像すると、それは、サークルやコミュニティの立ち上げに近い気もする。政治団体も、アートグループも、ベンチャー企業も、その端緒においては、宗教とあまり変わらないのではないか。


 いかがわしく思われがちな新興宗教(のうちの幾つか)は、確実に信者を獲得し、要塞のような建物を打ち建てている。天理教の一般会計予算は、約185億円になるという。
 かたや、文化芸術、とりわけ現代美術は、社会的に、いかほどのコミットを得ているというのだろう。(ちなみに文化庁の“芸術文化の振興”に係る予算は362億円。)
 仮に、そこに関わる人やお金の規模をもって、その領域の社会性を推し量るとき、新興宗教と、現代美術は、どのように評価されるのだろう。


新編 新宗教と巨大建築 (ちくま学芸文庫)

新編 新宗教と巨大建築 (ちくま学芸文庫)