クリエイティブ都市論

 リチャード・フロリダ『クリエイティブ都市論』読了。


 「クリエイティブ・クラス」という新たな経済の支配階級の動向から、グローバル経済における地域間競争の変質を読み取り、世界中から注目を浴びた都市経済学者リチャード・フロリダ。2008年に発表された本書は、クリエイティブ・クラスが主導する経済において、先端的な経済発展はメガ地域に集中し、相似形になっていく世界都市の現実と近未来像を描いている。さらに、クリエイティブ・クラスにとって、いまや自己実現の重要な手段となっている居住地の選択について、独自の経済分析、性格心理学の知見を使って実践的に解説する。


 僕にとって、本書の見るべき論点は二つ。
 一、世界は、フラットではなく、スパイキーである。少数の場所に才能や資本が集まり、それらはメガ地域として加速度的に成長している。
 一、都市には性格がある。個人と都市との性格のマッチングが重要である。


 前者は、感覚的には半ば当たり前の話だが、その検証の仕方が興味深い。著者は、「夜間光量」を経済生産の測定基準として引用する。夜に多くの明かりが点いているところは経済活動が盛んであろう、という直感を、いくつかの統計データと照合し、実際に使えるように調整したものだそうだ。成る程、この基準が有効なら、複雑かつ膨大な経済計算をスルーすることができる。


 また、後者も、僕にはほとんど自明のように思えるが、大規模なアンケート調査で実証したところに意義があるのだろう。
 ただし、次のような疑問はある。
 個人が生活するとき、常にその都市の性格なるものに直面するものだろうか。ミクロの視点で見たとき、都市は、本当にそのように経験されるものだろうか。むしろ、個人は、日常的には、友人や、職場の同僚、隣近所の住人からこそ、印象を受けるのであり、それらが「都市の性格」と一致するとは限らないのではないか。


 フロリダの主張は、現状把握としては、まあ概ね納得できる。が、その方向性に乗るのがよいかどうかは別問題だろう。
 現在、都市に資源が集中しているからといって、それが将来のイノベーションの基盤になるとは、直ちには言えないのではないか。
 また、著者は経済学上の議論として、パラメータに「場所」を導入することの必要性を説いているに過ぎないのであって、都市に資源が集中することが、我々の幸福につながるかは定かではないのである。


 「創造都市論」の代表的な論者として、僕は著者を知った。
 本書は、文化政策や都市計画の視点からの大局的な議論というよりは、もう少し領域を絞り、ハウツーにも手を伸ばした、実用書としての性格が強いものであったと思う。
 彼の「創造都市」の議論を知るには、僕は未読だが、『クリエイティブ資本論』の方がよいのかも知れない。


 最後に、これは本書には関係のない、ただの覚書。
 創造都市論、まちづくりのためのアート、あるいはYOSAKOI的なるもの、の胡散臭さについて、個人的に、いずれケリをつけなくてはいけない。


クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める