横浜トリエンナーレ2

 横浜、二日目。


 横浜港大さん橋国際客船ターミナル
 いつも眺めるだけで、行ったことがなかったので行ってみる。
 遠望するとターミナルに恐ろしい数の人々が集まっているような気がしたが、ぐるっと上部を回っているうちに、誰もいなくなった。気づかぬうちに船が出たのか。そう言えば汽笛が鳴っていたような気もする。
 船着場というと、僕は二十世紀初頭のアメリカを思い浮かべる。これは映画『ゴッド・ファーザー』の影響であろうと思う。大量の移民たちの声、喧騒。誇りと汗、脂。
 横浜の大さん橋は、にっぽん丸の世界一周クルーズに代表されるように、豪華客船を扱うのだから、このような僕のイメージは全くの的外れである。そこには広東省の王さんや、町工場の社長、フィリピーナの愛惜などは、原則としてないはずだ。ないはずだが、閑散としたターミナルのベンチに、何となく、彼ら、彼女らのことを見てしまう。
 ちなみに、世界一周クルーズに妻の知人が参加したそうだ。参加者の平均年齢は七十歳に近く、途上、幾人かの人がお亡くなりになったのだという。


 日本郵船海岸通倉庫。
 スペクタクルな作品が多く、横浜美術館よりもむしろ眼を楽しませる。
 極めつけはクリスチャン・マークレー「The Clock」。映画から時計が映りこんでいるシーンを抜き出し、実時間に沿って並べた映像作品。上映時間は24時間。
 相当な労作であることと同時に、質の高さにも驚かされる。各シーンは全く関係のない個別の映画から抜き出されているが、巧妙に意味の結合を生むよう配置されている。どうやっているのか遂に分からなかったが、音声も完璧に連続している。少し眺めるだけでも、映画なるものに接するときの興奮が沸いてくる。
 コンセプトは、深いが、分かりやすい。映画の中の時間、現実の時間。また、時計により指し示される(即ち近代的な)、時間なるもの。
 「The Clock」は、カタログに「本トリエンナーレ最後の作品」と明記されている。この作品が、「Our Magic Hour」というトリエンナーレのテーマを体現し、また展覧会全体に一応の句点を与えている、ということなのであろう。我々の魔法の時間が終わった後に、我々が出会う時間のことを、作品は指し示している。


 第5回タイフェア in 横浜2011
 タイフェアだが、アフリカやブラジルの屋台も出ている。料理が滅法旨い。


 新・港村
 前回の横浜トリエンナーレのメイン会場、新港ピア内に、ヒューマンスケールの「村」が仮設されている。面積は4,400平米。家、図書館、劇場、フードコート、ギャラリー、ブティック、 散髪屋、工房、デザインセンター等が置かれており、発電施設もある。
 会場には、海外のオルタナティブスペース、国際展・街づくり、アートNPO、インディーズメディア等のブースがある。これだけのアクターに声をかけ集めるのは大抵のことではないだろう。(ちなみに、京都からの出展は一つもなかったように思う。ブースの構成に当たっては、相当規模のリサーチが行われたのではないかと想像するが、一つも引っかからなかったのかと思うと、少々がっくりくる。)
 奥の広場でトーク・ショーが開催されていたためか、「村人」の姿があまり見られなかった。その点では、システムとハードが先行し、人の顔が見えにくかったようには思う。僕が感じ入ったブース群も、全てがメジャーなものばかりではないので、興味のない人には、雑多で意味のない情報に見えるかも知れない。その点を差し引いても、意欲的な試みであると思う。
 会場内のギャラリーでは「Essential Ongoing 静寂と狂気」展が開かれていた。いずれも思い切りのよい作品だったが、中でも柴田祐輔「Koukyo Run」が目に留まった。多分、夜の皇居周辺を走る人々を映したもの。和太鼓のズンドコに合わせて、間歇的に、走る人の姿が見える。もっと大きなところで見てみたい。