西ひがし
金子光晴『西ひがし』読了。
暗い時代を予感しながら暑熱と喧騒の東南アジアにさまよう詩人の終りのない旅。『どくろ杯』、『ねむれ巴里』につづく自伝。
金子光晴の自伝を読み継ぎ、これで最後ということになるが、先の『どくろ杯』、『ねむれ巴里』とは少し趣が違うように思う。もちろん、重苦しいあてどのなさというものは一貫してある。どうしてそこでそのように転げていってしまうのかという、ハラハラする感じと、それと一体となった高揚感もある。が、どこかが違う。
『どくろ杯』では上海の描写が記憶に残る。一面に引いたどす黒さの中に、それでも、少しの赤みの差した様。『ねむれ巴里』では、一人でどこまでも夜道を歩いていくような、寒々しい、陰に籠るような感があった。
『西ひがし』では、舞台が南国ということもあるのだろうか、重苦しさはあれど、どこか突き抜けたような明るさがある。透明感が高い。雑踏の中でこそ感じる、真空のような寂しさがあるように思う。
南国の放浪の後に、金子は日本に帰り、その数年後に「鮫」を発表する。長い沈黙の後での出来事である。『西ひがし』では、その時の改めて詩に向かわざるを得ぬという覚悟が、簡潔に表されている。
「そのとき、僕の心が、とうにあいそづかしをしたか、先方から僕にあいそをつかしたのか、どちらにせよ、全く無縁で、十年近く離れていた詩が、突然帰ってきた。それほどまでに自分が他に取柄がない人間だと意識したときは、そのときがはじめてで、その時ほど深刻であったことはない。」
一九七五年、『西ひがし』出版の翌年に彼は鬼籍に入る。死を前にして自らの生の転換点を打刻した、充実し切った仕事であろう。
- 作者: 金子光晴
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/12/20
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